曹洞宗 二楽山 西福寺 -あらまし-
西福寺は禅宗の曹洞宗の寺院で、ご本尊は不動明王で釈迦牟尼仏とともにお祀りしています。
本山は福井県「永平寺」、横浜の鶴見にある「総持寺」の両大本山になります。
その教えは永平寺ご開山「永平道元禅師」、総持寺ご開山「瑩山紹瑾禅師」の求めた純粋禅の教えを骨格にして、坐禅や供養を通して、広く檀信徒の皆様が穏やかに幸せに暮らせる仏法の教えを旨としています。
創建は慶長二年で、もとは真鶴にあったお寺で、小田原市早川の「海蔵寺」の末寺、山号を「東向山」と称していました。
ご開山は「了峰印達大和尚」と「西岸清光庵主」の二説がありますが、今は「真鶴西福寺開山 了峰印達大和尚」「真鶴西福寺開基 西岸清光庵主」としてお奉りをしています。
真鶴の海辺の西福寺は、海の安全や豊漁を祈る祈祷寺院で、檀家さんのいないお寺でした。大正十二年関東大震災に被災し、大津波で堂宇一切を流出してしまい、再建されるのを待っていましたが、大変難しい状況であったようです。
その頃、山梨県巨摩郡清川村「宝勝寺」の住職「西海松喜和尚」は横浜市中区大平町「西有寺」で役僧として横浜に縁を結び、この地に大きな仏縁を感じて上大岡の丘に宝勝寺横浜説教所を開設、さらに豊川稲荷をお祀りして多くの信者を集めていました。信者さんや多くの人の後押しをいただいて松喜和尚は 新寺建立の大請願をたて、真鶴の西福寺を上大岡の丘に移転することにしました。
地主の北見家の協力をいただき、昭和四年に寺籍譲り受けの許可も下り、移転の功労者「原田久吉翁」の号「二楽」を山号にいただき、新たに名前を「二楽山 西福寺」と改め、新生西福寺としてこの地で再出発しました。
そのご功績を讃え、松喜和尚は「西福寺中興開山」として原田久吉翁は「西福寺中興開基」として、永代にお奉りさせていただいております。
現在、西福寺は檀信徒の皆様の法務(春秋の彼岸供養、夏のお盆供養、回忌供養などの法事や葬儀)を中心にして多くの方の心の拠り所となっております。
また、奉仕活動や檀信徒参加行事(旅行や観劇など)の活動もしており、まさに二楽(亡くなった後の成仏の楽しみと今現在の生きる楽しみ)を大切にして檀信徒をはじめ近隣、縁者の皆様と有意義なお付き合いをさせていただいています。
西福寺では檀信徒以外の方の法務もご依頼により随時行っており、多くの方と新しい仏縁を結ぶことを旨としています。宜しければ、遠慮なく西福寺の扉を開いてください。
そこに、明日の幸せを見つけることができるかもしれません。